聖書研究

 「イエスの人権宣言」(マルコ2:23~28)

渡辺英俊(日本キリスト教団神奈川教区なか伝道所)

 皆さんおはようございます。渡辺です。これから3,40分の間考古学の発掘につきあっていただきたい。私が聖書を読もうとするときは聖書のテキストが一枚の小さな畑です。そこにトレンチを掘っていくと「層」が見分けられる、そして一番下の層を掘り返してみるとそこからすごいものが出てくる、という読み方をしています。マルコによる福音書2章23~28節が一枚の小さな畑で、いまからそこを皆さんと小さなつるはしとスコップで汗かきながらほっていきます。

二つのツール

道具が二つあります。一つは「批判的聖書学」です。もう一つは「低みの視座」、この二つのツールをつかって掘り返していきます。批判的聖書学は19世紀からずっと開発されているもので、牧師たちは神学校3年生くらいで新約聖書概論という授業でみんなやっています。「低みの視座」とは「現場」と思ったらいいです。現場にもいろいろ高さ低さがありまして、できるだけ低いところ。日本で一番低いところが寿町のあたり、寄せ場だと思ってわたしは寄せ場に腰を据えております。そこでも病気になればまだ生活保護で食えます。が、第三世界に行くと、ほんとに腕の中で子どもが飢えて死んでいくのを黙って見ていなくちゃいけない母親がたくさんいるような世界、「低み」というのがいくらでもあります。イエスが生きた場というのが「低い場所」であった。私が意識的にフィリピンやブラジルに出かけたりするのは、イエスが何をやったのか、何を語ったのかということを理解するためです。イエスが生きた2000年前のことを理解するには地上を2万キロ移動する必要がある、第三世界に行ってみるとイエスの生きたような状況がいまもそこにある、そこに座ってみればイエスが言おうとしたことが一発でピタッとわかる、ということがあると思います。そのあたり、教育という非常に大事な現場を持ってらっしゃる皆さんは、その自分の現場というものから見ていってください。その中で最も低くされた存在の視座からものを見ていくということをしてください。皆さんはすでに大事なツールをもっていらっしゃる。高級住宅街と大学の間を往復している、大学の非常に偉い聖書の先生方は弱いところです。全然低くないです。この二つの道具を使って掘っていくことをある程度訓練すると、これはおかしいな、とか、こうなんじゃないか、とか、たいてい見当がついてくると思います。

安息日の穂摘み事件

「安息日の穂摘み事件」と呼んでいるものをこれから考えていきたいと思います。今見えている、これから掘ろうとする畑には草が生えていて、石がごろごろしていて、その石には十字架が刻んである。つまり教会の営業用のテキストがおもての状態です。教会の営業用とは教会にとって都合のいいように書き換えられている、つまり教会に行ってお祈りすれば救われるというふうに書き換えられていることです。今日のテキストは相当営業用に書き換えられた箇所です。

ある安息日にイエスが麦畑の中を通った。弟子たちが麦の穂を摘んで食べたのをパリサイ派の人々が見てとがめた。イエスがそれに答えて、あの偉いダビデ王でさえも緊急のときには祭司しか食べてはいけない神殿のパンを食べたじゃないか、そういう例外があるじゃないか、ましてやここにいるのはダビデ王より偉いメシヤ、キリストなんだから。私は安息日を破ってもいいんだ、と。

ここに「人の子」という言葉が出てきますが、現状ではこれは「メシヤである私」という意味です。この用法は非常に特殊な第一人称です。「人の子」を「私」という意味に使ったことにされているのはイエスだけです。このことを聞いてピンと来る人は何人いるでしょうか。皆さんは「朕」というグロテスクな第一人称を使った人が昔一人いたということをご存じでしょう。は、イエスが自分のことを「人の子」と言ったという説を「朕的私」説と呼んでいます。キリストが「人の子=私」と言ったというのは、「朕=私」と同じやり方です。キリストはダビデ王より偉いんだから、安息日を破っていいんだ。だからクリスチャンはキリストによって安息日から解放されている、だから日曜日には教会へ、という営業的な話です。これが十字架のついた石のある畑の状態です。石を取りのけてその下を掘ってみます。

このテキストの成り立ちをさかのぼる方法は、批判的聖書学が19世紀以降細かく丁寧にやってきたことで、わりと使いやすい道具になっています。共観福音書(共通点の多いマタイ、マルコ、ルカの三福音書)ギリシャ語で対照表にして比較していくと、異同や書き写し方がわかる。マルコが元で、マタイとルカがそれを書き写したこともわかります。そのほかに、マタイとルカにしかない、マルコにはないところもある。それは、マタイとルカが共通に使った「Q」という学問上の符号で呼ばれる資料があったからです。

文書的にはこのように対照表で分析できますが、さらに文書以前に口伝えにされて伝承の状態を調べていきました。すると、いくつかの様式に分類できる。たとえば「たとえ話」とか「奇跡物語」という類型がある。今日のマルコのテキスト、これは「短言」と訳されている形のもので、もともとは非常に鋭い、短い発言が単独で伝わっていたと思われる。これを語り伝えた集団の関心によって、言葉に場面を付け加えて伝承される。言葉は生きものですから、どの状況で言うかによって意味が全然違ってくる。場面をつけるということは意味を限定して解釈を加えるということです。鋭い短い発言がボンとあって、それに後から場面がつけられた。これが短言という伝承の形態です。これは割と変化を受けにくく元の言葉が残りやすいのです。イエスまでさかのぼれる可能性が高いと言うことです。

今日扱っているのは、その「短言」ですが、現状のマルコのテキストには言葉が二つあります。25節でのイエスの発言とされる言葉は「ダビデが自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかは誰も食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」これともう一つのイエスの発言、27.8節の「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから人の子は安息日の主でもある」という二つの言葉がくっついている。二つのうちどっちかが後からついたものです。25,6節の、ダビデの例を挙げている部分と、27,8節の発言の部分をどっちが元か、ということは割とはっきり見分けられる。「ダビデが云々」という方が長々しい説明で、27,8節がなければ、それ自体で独立したメッセージにはならない。これは後でつけられた説明です。元の伝承の形は安息日に麦の穂を摘んで食べたという非難に対してイエスが、

「安息日は人のために創られた。人が安息日のためにあるのではない。だから人の子は安息日の主である」

と言った、というもの。発言だけだと意味は非常にスッキリしています。短言の場面設定は、伝承した集団(教会)が解釈を加えて後からくっつけたので、言葉とのズレが起こる場合が多い。今日のテキストも実際には起こりえない場面です。この話の中で弟子たちに「あんたたち、何やっているのか」とからむパリサイ人はどこから来たのか。彼らが安息日に麦畑に来ているわけがない(いたら同罪の律法違反です)。これは伝承の途中でつけられた念的な場面設定です。ただ、この短言の場合、発言内容から見て、イエス集団の安息日律法違反が問題にされた状況での発言であることは疑いないでしょう。

そういう大状況に置いてみると、27、8節の発言はとてもラディカルなものです。後で見るように、このままだと「人間が安息日の主だ」という意味になる。マルコがこの伝承を福音書に入れるときに、あまりにラディカルな発言なので、例外的な緊急事態の話だよ、というふうに話をやわらげるために、25、6節の「ダビデが飢えたとき云々」の発言を挿入したとみられます。だから私は27.8節の発言を「マルコもビビるラディカルさ」と受け取ります。マルコ自身が当時の教会主流を批判して「福音書」というものを書いたのが福音書の始まりなのですが、そのマルコでさえビビるほど過激な発言をイエスはしている、ということです。

「人の子」の意味

問題は、ここに出てくる「人の子」の意味なんですね。福音書に出てくる「人の子」には、三つの意味が考えられます。

①アラム語の辞書的意味で「人間」という普通の意味で、いわば「人的人の子」

②キリストの特殊第1人称、つまり「朕的人の子」

③終末の時に天から下ってきて審判する存在、つまり「天的人の子」

③は紀元1世紀のユダヤ教の黙示思想をふまえたものです。そこでは「人の子」が「天から審判のために下ってくる存在」という意味で使われていました。それが復活後の教会の信仰に入ってくるわけですが、福音書には②と③がごっちゃになって出てくる。なぜかというと、復活後にキリスト信仰が始まったとき、イエスは「近い将来天から下って来る人の子」という意味で「キリスト」だとされる。これが教会の信仰となったわけです。そうすると、そのやがて天から「人の子」として下って来るイエスが、地上にいたときすでに自分のことを「人の子」という朕的第一人称で呼んだ、という話にもなる。言わば③の派生形として②が福音書に出てくるわけです。

現状のマルコのテキストで、ダビデ王と比べられる「人の子」は「朕的人の子」で、これは教会のキリスト信仰を反映しています。だから、この発言がイエスまでさかのぼることはできないというのが大多数の意見だそうです。たしかに、キリスト論的な意味ですから、キリスト信仰以前のイエスに遡ることはできない。ここの「人の子」が「朕的人の子」なら、当然そうなります。

しかし、私はここの説に異議を唱えます。アラム語の最も普通の語義からみれば、ここの「人の子」は、まず「人的人の子」だと考えなければならない。しかし、専門家たちがそう考えない理由は、福音書の中にはイエスが人間一般を指して、「人の子」という言葉を使った例がない、ということです。だからここも「人間」ではないだろうというのが多数意見だそうです。

わたしはこの考え方に承伏できません。というのは、その立派な用例があるからです。マタイとルカの共通資料Qに出てくる記事ですが、マタイ8:19-20//ルカ9:57-58で、

「そのときある律法学者が近づいていった『先生あなたのおいでになるところならどこ でも従って参ります。』イエスは言われた『狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子には枕するところがない。』」

というのがあります。これも典型的な短言です。今のテキストの状態は、この伝承を伝えたQ集団の場面設定がついたものです。律法学者がイエスに「従いたい」と言ったのに対して、イエスが「やめときな、メシアである私(朕)は枕するところがないほど苦労してるんだよ」と。ここでは明らかに「朕的人の子」になってしまっている。

ところが、場面は後からくっついたと見てください。「狐には穴があり云々…」が何を言おうとしているかということです。ブルトマンは場面設定を外してこの言葉だけ取り出し、「これは格言。人生を悲観することわざだ」と言った。そして「人間には住むところがない。人間って悲しいもんだ」という意味だと理解した。世間の格言が紛れ込んだ伝承で、イエスから出たものではない、と言ったのです。これに対してエドゥワルド・シュヴァイツァーが反論してこう言っている。「この言葉が、元来とにかく穴や巣を持っている動物に対して人間の運命の不確かさをのべる一般的なことわざである、という見方はきわめて蓋然性に乏しい。そのようなことは特別な、戦争とか緊急なときでしかあてはまらないからである。」(NTD佐竹訳289ページ)つまり、シュヴァイツァーは、この発言は格言ではないから、「人の子」は「人間一般」ではない、やはり「メシア的人の子」(つまり「朕的人の子」)だというわけです。したがって、これはイエスが「人の子」を「人間」の意味で使った用例にはならないということになります。

私はこれを読んだとたんにえーっと声を上げました。こんな偉い学者でも、現場を知らないとこの程度のことしか言えないんだとわかったからです。みなさん、すでにお気付きでしょう。野宿者の夜回りに一回でも行ったことのある人はそのことがまぶたに焼き付いて忘れられませんよ。その目でこの箇所を読めば、イエスの言っていることが一発で分かります。イエスは目の前で貧しい人たちが寝るところもない状態でいるのを見ているわけでしょう。だからこの発言が出てきた。現場を見ての嘆きの言葉ですよ。そういうふうに見ると、ここでの「人の子」は「人間」以外であり得ない。それも、ブルトマンのいうような格言という傍観的な意味での一般的な「人間」ではなくて、社会から振り落とされて野宿せざるを得ない人の悲しみですよ。誰だって好き好んで野宿する人はいない。でもイエスはそういう人たちがいっぱいいるところに身を置いていた。寿町の周辺にも、夜になると雀が一本の木にびっしり集まって来る場所があります。雀に泊まる木があるわけです。しかし、横浜スタジアムのところに行ってみると、人が段ボールを寝場所にしている。関内の駅地下通路に行ってみると、そこに寝ている人がいるわけじゃないですか。なんで狐には穴が、鳥には巣があるのに、人間には枕するところがないんだと。小泉首相以降ますます状況は悪くなりました。見たら胸がつまりますよ。この発言は、Qの場面設定をはずして独立の発言としてみると、そういう場面で「人間=人の子」の意味で使われているのです。この箇所は、イエスがこの言葉をそういう意味で使った貴重な用例なのです。

そこでマルコに戻ると、ここだって「安息日は人のために創られた。人が安息日のために創られたのではない。だから人の子は安息日の主である」というふうに、「人→人→人の子」と言葉を重ねている。きれいなレトリックです。日本語でも「わたしだって人の子だからね」というように、イエスも人間性を強調して「人の子」を使っていることは明らかです。そしてこの言葉は教会が発明する理由がないですから、イエスにさかのぼることができるだろうと考えられます。

イエスの人権宣言

教会用の場面設定や、意味の強さを緩和する付け加えを抜きにしてここだけ見ていくと、この発言はすごいことを言っているのだということに目をとめてほしいのです。安息日に麦の穂を摘んだ場面と直接の関わりではないにせよ、貧しい人びとを苦しめた安息日律法との関わりでこの言葉が語られたことは疑いないでしょう。

問題の一つは「安息日の穂摘み権」です。申命記の律法の中に「人は他人の畑には行って麦の穂を摘んでよろしい、ただし鎌を入れてはならない」(23:26)というのがあります。つまりお腹のすいている人は自分のお腹に入れるためならば誰の畑に行って、摘んでよい。土地はみんなのものだから、神様から頂いたものだからそこにできているものは誰でも食べてよろしい。ただし鎌を入れるというのは人がせっかく耕作して、種をまいて労働したこと、つまり他人の労働をかすめ取ることだから、鎌で刈って持って帰ってはいけない、というのです。これは法として非常に良くできていて、私はこれを「世界最古の生活保護法」と呼んでいます。憲法25条に「全て国民は健康で文化的な最低水準の生活をする権利を有する」とあります。(「国民は」は「何人も」でなくちゃいけない。マッカーサー案が「何人も」と書いていたのを日本の政治家たちがごまかして「国民は」としたため、外国籍者には直接適用されない条文になった。そこはほめられないですが。)お腹がすいたら他人の畑に入って食べていいというのは生活保護法です。

他方、安息日律法というものがあった。「安息日」という考え方は創世記1章の天地創造神話で初めて出てきます。この部分の資料である祭司典(P)というのは紀元前4,5世紀にでてきたのでわりと新しいものです。ですから「安息日」という考え方ができたのは、恐らく紀元前6世紀以後、バビロン捕囚期以後でしょう。これに対して、エジプトの事件は14世紀で、それより千年近くもこのころにできた最初のイスラエルの基本法に入っていたのは「7日目には何の仕事もしてはならない」、という規定であったろうと私は考えています。つまり世界最初の週休規定です。わたしはこれを「世界最古の労働基準法」と呼びます。なぜなら奴隷が休みなしに死ぬまで働かされた時代に、そこから解放され、新しい共同体の基本法を定めるときに、とにかく休もうよという規定を作った。「7」という数字がどこから来たかはわからないが、いずれにせよそれが先にあった。それが捕囚期以後に天地創造神話と結びついて、「7日目は神様が休んだ日だから人間も休まなければいけない」という規定になった。この変質というのは、もともとは「週休規定」は7日目に労働者は休む権利があるということだったが、安息日だから休みなさいという宗教的義務になったことを意味します。その結果、この義務を果たさないものは律法を守らない「罪人」だということになる。律法主義の非人間性というのはこういうことです。

イエスのまわりには貧しい人、被差別層の人たち、羊飼い、日雇い労働者、売春女性もいたと思われますが、その貧しい、日雇いの人たちにとって、7日目は休まなくちゃならないということは失業する日だということです。だからこの日に麦畑に行って麦の穂を食べることは絶対に必要なことだった。それが安息日破りだから禁止、ということは生活保護の打ち切りに当たります。寿町では6500人のうち80%が生活保護で暮らしています。憲法25条のおかげです。この人たちにとって何が一番嫌かというと「あんた、そういうことをしていると担当さんに言いつけるよ」ということで、「それだけは勘弁して」ということになる。担当さん(福祉の保護担当者)は親切にいろいろ努力する方も多いけれども、中には乱暴な人もいるようです。何で担当さんが怖いかというと生活保護を打ち切られるからですよね。ここはまさにそういう場面だと思います。つまり安息日律法によって「麦の穂摘み権」が扼殺される。日雇い労働者にとって、もっとも穂摘み権を行使したい日にそれが禁じられるという、事実上の生活保護の打ち切りがおこる。この状況の中にイエスの発言を置いてみてください。

「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから『人間』は安息日の主人である。」

私はこのイエスの言葉の「安息日」を「法」に置き換えて受け止めています。「法は人間のために作られた。人が法のために作られたのではない。だから人間が法の主人である。」

私は20年間これで活動してきました。というのは、これまで20年間支援してきた外国籍労働者の多くは「在留資格」を持っていません。入管法違反です。入管法は非常に不備な閉鎖的な法律です。そこへ国際経済のグローバリゼーションのなかでどうしても人間が移動しなくてはならなくなって日本に働きに来る。その人たちの受け皿となる在留資格が作られていない。これは法の怠慢だと思うのです。受け皿からこぼれて違法状態になり、見つかると捕まる弱い立場におかれる。生活保護はもちろん受けられないし、健康保険にも失業保険にも入れない。そういう中で働かされている人たちを支援するときに、入管法に遠慮していたんじゃやってられないです。私たちは最初の1年でそれを見抜くことができましたから、入管法はけっ飛ばします。入管法でわれわれをやるのならやってご覧なさいという覚悟でやってきました。聖書が言っているように人間が法の主人なんだ。まじめに働いてここに生きているこの人がここにいてはいけないなんて法律はおかしい。この人の権利を守るために私たちは法律もけっ飛ばす。幸い日本には労働基準法があってその第3条が国籍による差別を禁じていますから、それを根拠にして少なくとも労働者としての権利を守ることはやれてきたんです。しかし最悪の場合には法そのものとぶつからなきゃいけない。でもそのときも「人間が法の主人」です。これは非常に大きな力です。おそらく今日の教育現場でも似たようなことがおこってくるのではないでしょうか。当て嵌めて考えてみてください。

 私はマルコの27,8節の言葉、これは「イエスの人権宣言」といっていいんじゃないかと思います。聖書の中にはこういう宝が隠れているんです。こういう大事な宝を、教会は全部営業用に「キリストは偉い」という話にしてしまっています。キリストは偉いですよ。だって、イエスはこれだけのラディカルな「人権宣言」をして、その通り生きたんですから。だから十字架にかけられたんですから。だから彼は私のキリストなんです。天から下って審判するおっかない人がキリストじゃないんです。この「人間が法の主人」なんだと、この人権宣言を自分の身体で生きた人だから、わたしにとってはこの人がキリストなんです。この人に私はくっついて行きたい、それが私の生きる道だと思っているわけです。本当にイエスは律法を超える人間の権利の宣言をしている。同じことを私たちもそれぞれに自分の片隅でしこしことやっていきたいと考えています。

こういう宝が聖書にはたくさん隠れています。こういう方法というのは、魚を料理する人が包丁一丁できれいなお刺身を作るように、包丁一丁持つと、そこに隠れているいいものを掘り出せる。実際に私は寄せ場という、あるいは外国人労働者という現場にいるので、そこの視座でその道具を使って聖書の中から宝を取り出しているのです。