開会礼拝

讃美歌21 57 ガリラヤの風薫る丘に

祈り 「父である神様。私たちをここに集めてくださったことを深く感謝します。第19回全国キリスト教学校人権セミナーがこれから始まります。ここにあつまった私たちを豊かに祝福し、聖霊によって満たし、力強く導いてください。本当に人間が一人一人大切にされる、人間の尊厳の大切にされる世界、社会を築いていくことができますように。そのために私たちが小さな力を、努力を積み重ねて少しでも働くことができますように。わたしたちに豊かな力をお与えください。そして私たちが、特に子どもたちに、若い人に、自分自身の大切さとまわりの人すべての人の大切さを、本当に言葉だけでなく私たち自身の生き方を通して、きちんと伝えることができますように。私たちをいつも祝福のうちに守り、導き、力づけてください。この祈りを主イエスキリストの御名によっておささげします。アーメン 」

聖書朗読 マタイによる福音書5章1節から12節

 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くによって来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなた方は幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

説教「人権と平和」 幸田和生 カトリック東京教区補佐司教

今年は国連で世界人権宣言が公布されてから60年という年に当たっていることはご存じだと思います。1948年、この「世界人権宣言」が公布されました。そこにはあの第2次世界大戦という悲惨な戦争に対するものすごい反省があったといえると思います。どうしたら本当の意味で平和の構築ができるだろうかと考えたときに、「人権の尊重」がものすごく大切だというところに考えが至っていくわけです。本当に人間一人一人が大切にされる、不当な圧迫を受けずに人間らしい生活を送っていける、それがなければ平和を築いていくことはできない、そういう共通認識にたって世界人権宣言が公布されました。

今年の4月18日ローマ教皇ベネディクト16世が国連本部で演説をしました。教皇の国連演説を読んで二つのことでなるほどと思いました。ひとつは「人権の推進は依然として、諸国間、社会集団間の格差をなくし安全保障を強化するための最も有効な戦略です。」というところです。本当に人権を尊重するということがこの世界の平和と安全のために一番大切なことだと強調している。それは世界人権宣言の精神ですが、いまもなおそのことを強調する必要があると思います。軍事的なバランスで平和が保たれているというのは本当の平和ではないと言っていいかもしれない。本当にすべての人の尊厳が尊重されるということこそが世界の平和のもっともたしかな基礎であり、確かな道だと教皇は話しているわけで、なるほどと思いました。もうひとつベネディクト16世の話で、「世界人権宣言の文章は異なる文化的、宗教的伝統の歩み寄りの成果です。」という言葉にはっと思わされました。世界人権宣言はキリスト教的で福音的だからすばらしいと言っているのではなくて、いろいろな異なる文化、異なる宗教の人たちが歩み寄って作った、これがすばらしいといっている。これもなるほどと思いました。人権というのはキリスト教の専売特許ではない、どんな宗教、どんな文化の伝統の中に生きている人でもやはり共通してこれが大切だと認めることができるもの、そういうことで人は一致できた、そこに到達できたことがすばらしいと思いました。

 

キリスト教、キリスト信者にとって人権とはどういうことなのか、キリスト教の信仰の中では、聖書の中ではどこに位置づけられるのか、ということを確認してみたいと思います。三つありますが、聖書の中の一つの基礎は「創造」ということだと思います。神は全ての人を自分の似姿としてお作りになったという、そのことが人権尊重の基礎にあります。聖書の創世記の1章にこういうことばがあります。

「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』神はご自身にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」(創世記12526節)

創世記の1章に神が6日間で天地万物を創造したという話があります。これはもちろん神話です。神様が天地を作るのを誰かが目撃し記録したわけではなくて、古代の人たちがこの世界を説明するために物語を作っていったというものです。聖書の創造神話は非常に特徴的です。古代オリエントではいろんな創造神話がありましたが、全て多神教で、いろいろな神様が恋をしたり闘ったりしてその間に世界がうまれてくるという創世神話がほとんどです。それはどういうものかというと、世界にははじめから善と悪の対立がある、この世界ははじめから光と闇の対立がある、という二元論的な考え方です。しかし聖書は唯一の良い神様が全てを創造した、だから存在する全てのものは良いものだという、これは創世記1章の強烈な主張です。闇はただ光のない状態ですが、人間は闇の中にいるとものすごい闇の力を感じて闇が実体のあるもののように感じることさえあります。だから闇と光という二つの原理を考える、人間にはそういう傾向があるのかもしれない。しかし、聖書はそうじゃない。闇の中に神様は光だけを創造された。神様は光を見てよしとされた。これが創世記1章の物語です。

古代のイスラエルの人が世界に存在する全てのものがよいものだと実感していたわけではない。実感していたのはこの世界にとんでもない悪があるということです。でも、本来神が作られた世界はそうではなかった、良い世界であったということを創世記の世界は語ろうとする。そして人間も良いものとして作られている。人間だけが特別です。何かしら自分に似たものとして、神に近いものとして人間を作った、それはすごく大切な考えです。そしてここでは全く民族の壁は問題になっていません。旧約聖書はイスラエルの民族の歴史と思われていますが、それは創世記の12章より後の話で、創世記の11章までは全人類の歩みの話で民族は関係ない。もう一つ大事なのはここでは男女の壁もない。創世記が書かれたのは紀元前500年くらいと考えられています。紀元前500年くらいのイスラエルの社会はとんでもない男性中心社会です。一人前の人間であるためにはユダヤ人であり大人であり男性であることが条件。女性であることはものの数にも入らないように見られていた。だから神に似たものとして男性が作られたと言うのならその時代の考えに合うかもしれないけれども、聖書はそうは言わない。男性も女性も全く等しく創られている。とにかく全ての人が神に近いものとして作られている、これが人権尊重の根本的な基礎になる考え方だと思います。

このなかで、人間に海の魚・空の鳥・家畜・地の獣・地を這うもの全てを支配させようというのがあって現代人にはけっこう評判が悪いです。人間が他の被造物を支配するという考えが間違いなので、これで環境破壊がおこった、人間が傲慢になってとんでもないという考えがありますが、聖書はそういうのとはちょっとちがうんです。聖書では、この世界にはいつも根本に神の支配がある。神様がこの世界を好きなように使っていいということではない。神様が全てを見守っていて必要なことが全部うまくいくよう配慮してくださっている、これが神の支配です。人間が神に近いものとして作られてその神の支配に預かるもの、というのが創世記の考え方です。現代的な言い方をしたら、好きに支配していいということではなくて、人間が神に近いものとして作られているが故にこの世界に対して責任があると言っていいかもしれません。

もう一つ旧約の中で基礎となる大切なことは、出エジプト記に表れている神様の姿です。イスラエルの歴史のなかで民が唯一の神を知っていく、その出発点は出エジプトの体験です。紀元前13世紀、いまから3千年以上前、イスラエルの民がエジプトで奴隷状態にあったときに神様が救い出してくれた。もっと人間的な言い方をすればそのエジプトの奴隷状態から何か不思議な力によって解放されて自由な地へと移っていくことができた。その体験をイスラエル民族は神が自分たちを救ってくださったと理解し、それによってその神様と自分たちの間に特別な関係がうまれると考えるようになります。有名なモーセを指導者としてエジプトから脱出していくわけですが、その出発点に神様がモーセに声をかけるということがあります。

「主は言われた。『私は、エジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る』(出エジプト3712節)

これが全ての出発点です。イスラエルの人々が体験によって知った神様の姿は、人々の苦しみを見ておられる神、苦しむ人の叫び声を聞く神、そして人の痛みを知る神でした。そしてそこから後になって民に求められる生き方が出てきます。旧約聖書の律法の最も古い核心の部分にこういう言葉があります。「寄留者を虐待したり、圧迫したりしてはならない。あなたたちはエジプトの国で寄留者であったからである。寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。もし、あなたが彼を苦しめ、彼が私に向かって叫ぶ場合は、私は必ずその叫びを聞く。そして、私の怒りは燃え上がり、あなたたちを剣で殺す。あなたたちの妻は寡婦となり、あなたたちの子どもらは孤児となる。もし、あなたが私の民、あなたと共にいる貧しい者に金を貸す場合は、彼に対して高利貸しのようになってはならない。彼から利子を取ってはならない。もし、隣人の上着を質に取る場合には、日没までに返さねばならない。なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。もし、彼が私に向かって叫ぶならば私は聞く。わたしは憐れみ深いからである。」(出エジプト記2220節~26節)

旧約聖書の中で典型的に弱い立場の人たちは、外国から自分たちの国に移って住んでいる「寄留者」、今でいう滞日外国人のような人たち、それから夫に先立たれた女性と親のない子ども、それは社会の中で守ってくれる人のいない弱い立場の代表です。そして貧しい人。その人たちを苦しめてはいけない、大切にしなさいということを律法は要求するのです。そして面白いのは、その苦しめられている弱い立場の人の叫び声を私は必ず聞く、と22節にものすごく強い言い方で書いてある。律法で民に要求されていること、貧しい弱い立場の人を尊重しなさいということの背景には、神は苦しんでいる人々の叫び声を聞く方だからだ、というのがあり、それは自分たちがエジプトでの奴隷状態からの解放の体験に基づいているんですね。この聖書の根本的な考え方、教えはやはり人権尊重のもう一つの基礎になることだと思います。

今回のセミナーのテーマは「子どもの声が届いていますか」ですが、まさにその根本でこの出エジプトの神様の姿を感じたらいいのではないかと思います。人権尊重の根本には、神様が苦しんでいる人の叫びに決して耳を閉ざすことはない、必ずその声を聞いてくださる方だというそのことがあると思います。  

聖書で三番目に注目したいことはやはり新約聖書のイエスという人の姿です。イエスという方は抽象的に人権について語ったりした方ではない。出会った人との関わりの中で本当に一人一人の尊厳を大切にし、尊重した人だと思います。その中で、今日は「アブラハムの子」ということばに注目してみたいと思いました。これは一般的に言えばすごく民族主義的な表現です。でもイエスが「アブラハムの子」というときには全然違います。ほんとに素敵な響きがあります。ひとつは、ルカ福音書からの話です。

安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。そこに18年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」といって、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、18年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。(ルカによる福音書1310節~17節)

病の霊にとりつかれている女、腰が曲がったままどうしても伸ばすことができなかった女、肉体の病気ですが、当時、それは悪霊の仕業と見られていました。それをイエスが何らかの方法で身体も心も癒したみたいです。当時は律法で安息日には労働が禁じられていてそれが重要視されていた。女性を癒したことでイエスは非難された。非難した人は宗教的なリーダーだった人たちで、それに対してイエスは「この女もアブラハムの娘なのだから、安息日であってもその束縛から解いてやるべきではないか」といいます。この人も本当に神の祝福の約束を受けた女性ではないか、それなのにその人を知らん顔して見捨ててもいいのか、ということを問いかけたわけです。当時の宗教的なリーダーの見方からすれば、この女性は神様からほど遠い、どうにもならない人間だということになっている。でもイエスはそうではない。この人も大切な存在だと語るわけです。

もうひとつイエスが「アブラハムの子」というのはルカ福音書の19章に出てくるザアカイという人です。徴税人の頭で金持ちであったと紹介されています。彼らはローマ帝国の役人ではなく税金を徴収する権利を金で買ったユダヤ人ですから、自分たちが人々から多めにお金を取ってその中から手数料をさっ引いてローマ帝国に納めていた。やりたい放題で不正な取り立てをしていたといわれています。でもそれだけではなくて、いわば民族の裏切り者という見方があった。それでどうしようもない罪人と見られていた人です。彼にイエスは出会って、「ザアカイ、今日はぜひあなたの家に泊まりたい」というのです。イエスはザアカイという、町で評判の罪人の所に行って宿をとった。当時のエリートや指導者から見れば非難されるようなことでした。でもそのときにイエスは言うのです。「今日、救いがこの家をおとずれた。この人もアブラハムの子なのだから」と。当時の人々の見方からすればどうしようもない裏切り者、だめな人間なのですが、イエスは「この人も神様の祝福の約束を受けた人なのだ」という見方をします。一人一人の人間を具体的に尊重していったと言えると思います。

福音書の中で、イエスという人は出会った人一人一人との関わりを通して、当時軽んじられ、さげすまれ、排除されていた人を本当に大切にしていく歩みをしたと思います。先ほどマタイ福音書5章の八つの幸いという箇所を読みました。「心の貧しい人々は、幸いである」に非常によく似たことばがルカ福音書にあります。「貧しい人々は幸いである。神の国はあなた方のものである。」神様はご自分の国をあなた方に与えようとしているという約束ですね。「今飢えている人々は、幸いである。あなた方は満たされる。」「満たされる」の本当の意味は「神が満たしてくださる。」です。「今泣いている人々は、幸いである。あなた方は笑うようになる」非常にストレートなメッセージですが、マタイではよく見ると「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる」とあります。これも「神さまが慰めてくださる」です。イエスのメッセージは根本的にそういうものであったと思います。本当に貧しい人、飢えている人、泣いている人を神様が決して見過ごすことはない。必ずその苦しみを、叫び声を聞き、痛みを知って近づいてきてくださる方だ。出エジプト記の神様と根本的に同じだと思いますし、私たちの人権尊重の基礎になることだと思います。

 

キリスト教には2000年間にわたっていろいろな教え・メッセージがありますが、はじめから一番大切なのは一人一人の人間を大切にするということだったのではないかと思います。今日は日本のキリシタン時代の話をしたいと思います。実は今年秋に、カトリック教会では「ペトロ岐部と187殉教者の列福式」というのが行われます。「188人の殉教者を列福」というのが私もピンと来なかったのですが、いろいろ本を読んだり勉強するうちにすごく考えさせられることがありました。ひとつはキリシタンの迫害、ものすごい大きな規模で長い時代に及ぶ迫害であったのですが、それはとんでもない人権侵害であったことをしっかり見るべきだということです。カトリック教会では無抵抗でなくなった人以外は殉教者と呼ばないので、キリシタン迫害の中で非常に大きな出来事であった「島原の乱」で亡くなった何万という人々は殉教者扱いしてこなかったのです。殿様がひどい政治をして民衆を苦しめただけでなく、迫害に対して苦しんでいたキリシタンの人々の苦しみが爆発して武装蜂起になった、それが島原の乱です。あれだけ抵抗をした人々ですから殉教者と呼ばれてこなかったのですが、最近になって、最後に反乱軍が立てこもった原城というところの発掘調査が進んできて、すごい発見があったのです。無数の人骨がでてきて、その頭蓋骨の奥歯の間に十字架とかマリア様のメダイとかが噛みしめられていた。もちろん武力によって闘って死んだ人もいます。でも最終的に原城が陥落したあと非戦闘員として女の人や子どもたちが2万人くらい残った。その人たちは武器を取って闘ったのではなく、むしろ武器を、鉄砲の玉を打ち変えて十字架やメダイをつくってそれを噛みしめながら自分たちはやっぱりキリスト教を捨てられませんといって死んでいった。そんなことがだんだん見えてきたのです。何はともあれキリスト教の信仰のために殺されていった何万という人々がそこにいたということを、もっと本気でみつめる必要があるのではないかと思います。私は最近、自分がとんでもない人権侵害を受けたキリシタンの末裔であることを自分でしっかりと感じるべきだと思い始めています。今、日本の社会の中でカトリックもプロテスタントも、なんとなくちゃんと認められて、体制に近寄りすぎてしまった、という気がします。本当は抑圧されて人権侵害された側だということを忘れてはいけないと思います。

日本の戦前、昭和の初めにもキリスト教学校に対するものすごい迫害がありました。たとえば、奄美大島の「大島高等女学校」というのがありました。1924年、大正の末に地元の人々の要望によってカナダ人の宣教師が創ったカトリックの学校でした。そのときは島中の人々に大歓迎されました。ところがちょうど同じ頃、奄美大島の古仁屋(こにや)というところに軍の要塞司令部ができました。だんだんと奄美大島の中で愛国的な雰囲気が強まってきます。そして天皇が奄美大島に来ることがきっかけになって爆発的に愛国的ムードになっていきます。そうしたときにカナダ人の神父やシスターは全部追放されていって、そして1934年には廃校に追い込まれます。最初は大歓迎されていたのに、たった10年間でキリスト教廃絶の嵐が吹き荒れて廃校に追い込まれてしまう。もうひとつの例は東京の九段の靖国神社の隣に白百合という学校があります。そもそもは神田猿楽町というところに「仏英和高等女学校」というのがあった。関東大震災で燃えてしまったので、1927年に現在の場所に移転してきます。昭和2年です。昭和2年に靖国神社の隣に「仏英和」というフランス系のカトリックの学校ができることを誰も問題にしませんでした。ところが10年経たないうちに学校の名前を「白百合高等女学校」に変えざるをえなくなるんです。そういう意味では、日本という国がキリスト教に対してどうなのか。前の首相のときに憲法20条改正の動きがずいぶん強まったことがあります。信教の自由と政教分離の原則、憲法20条を守ることは私たちにとってはとても重要な問題だと思いますし、大切にしたいことです。

もうひとつキリシタンのことでお話ししたいことは、ルイス・デ・アルメイダという人です。日本にキリスト教を伝えたザビエルは2年くらいしか日本にいませんでした。その後コスメ・デ・トーレスというひとがザビエルの仕事を引継いでやっていました。そこへルイス・デ・アルメイダがやってきます。この人はポルトガル人でお医者さんの資格を持った人でした。でも、大航海時代で医学をせず貿易をしようと思ってゴアやマカオへいき、貿易ですごい財産を築き、貿易商として日本に来ました。それからコスメ・デ・トーレス神父にあって少し影響を受けます。この人は日本に来てほどなくして豊後府内、今の大分県大分市に自分の財産を使って乳児院を作りました。当時貧しい人々が子どもを育てられないというので間引き、嬰児殺しをしていたんですが、それを見て、彼は放っておけなくて乳児院を作った。それから何年かしてイエズス会の修道院に入って、それから大分市に日本で初めての西洋的な病院を作り、医療活動を始めます。外科と内科の一般病棟とハンセン病の病棟を両方つくるのです。当時本当に見捨てられていたハンセン病患者に何とか手をさしのべなければならないとそういうことをしました。このことは日本のキリシタンの歴史のはじめに当たってすごく明確な線を出しました。キリシタンが広まったのにいろんな理由がありますが、アルメイダたちが当時顧みられなかった小さな赤ん坊の命、ハンセン病者の存在をすごく大切にしようとした、その姿は日本の人々の心に訴えかけていったと思います。私はそういったことも大切にしていきたいと思います。この、軽んじられている、苦しんでいる人たちの叫び声を聞くということはキリスト教の根本ですし、イエスの福音の本質であったと言っていいと思います。そのことを私たちが本気で生きられるかということ、それが私たちに問われていることだと思います。

 

本当にこの国にキリスト教学校が存在していることの意味をやはりよく考えていきたいと思います。やっぱり必要だと思います。キリスト教学校やキリスト教教会が存在している中で、どうしても語り続け、大切にしなければいけないことは、どんな人も例外なく全ての人が尊重されなければいけないということです。それから日本はどこか狭いナショナリズムに突っ走る危険があると思いますが、そのときに絶対にその狭いナショナリズムを乗り越えて、全ての外国の人々、全ての人類との連帯を大切にし続けていくという、そういう使命があるのだろうと思います。皆さんの学校での働きがこれから力強く神様によって支えられ、導かれるように最後に祈りたいと思います。

祈り「慈しみ深い父なる神様、私たちがこの日本という社会の中でキリスト教の学校や教会という場に派遣されて、その中で神様の似姿としての人間、神様がその叫びを聞くといわれた小さな苦しむ人々の存在をしっかりと見つめながら、その人々の叫び声に少しでも耳を傾けたいと願って歩んでいます。どうか私たちの歩みを力強く支え、導いてください。そしてこの日本の中に、そして世界の中に、全ての人一人一人の尊厳を大切にする心が広がって深く染み通っていきますように。そこから本当に平和な社会、世界を創っていくことができますように。私たち人類を導いてください。この祈りを主イエス・入りストの御名によって捧げます。アーメン」